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(ちょっこと説教)ゴミ屋敷と最初の1個目

テレビを見ていると1年間に数度「片付られない人、救済」という様な内容の番組を目にする。

簡単にいうとゴミ屋敷と化したお家を芸能人がレポート。

家主になぜこんなにもゴミが溜まっているのかを聞いた上で、

業者さんに頼み、一気に掃除をしてビフォー、アフターを見るという内容だ。

どのゴミ屋敷の家主さんも大概言っている事なのだが、

「これはゴミじゃない。」

「これは商品だ。」

「これは使うんです。」

一、視聴者目線から言うと、

「どれもゴミに見えるし、誰がこの商品を買うんだろう?、どうせ使わないんなら捨てればいいやん。」

と思ってしまう。

皆様、恐らく私と同じ気持ちであろう。

「屋敷」という単語を辞書で引いてみると

人が住む家、特に大きな住居のことをいう。

と出てくる。

特に大きな家か・・・

住んで見たいものだが、

たった一言「ゴミ」と「屋敷」の前に付くでけで、

途端に住みたくなくなる。

しかし、よくよく考えてみると、テレビで見る様な「ゴミ屋敷」も「一般的なお家」もゴミは毎日の様に出るものである。

では、なぜこの様な差が出てくるのだろう。

「ゴミ屋敷」もゴミがなければ、元は「屋敷」である。

全てのものは必ず始まりと終わりがある。

宇宙の始まりも「ビックバン」というな小さな物体の爆発から生まれたと言う説が有力視されている。

ではこの「ゴミ屋敷」を産んだ、ビックバンはなんだったのだろう。

恐らく一番最初の始まりのゴミは本当に小さなモノだと思う。

ペットボトルの蓋?消しゴムのカス?お菓子のゴミ?

これらが徐々にたまり、大きくなって行くのだろう。

「これちょっと捨てるの面倒だから、今、一旦ここに置こう。」

「次のゴミの日までには捨てるから、またここに置こう。」

「最近、ゴミ袋にゴミが溢れてきたな、とりあえずそのゴミ袋の周りにでも置いておくか。というかまだこれ使えるか」

1年後・・・

「これはゴミじゃないんです、これは商品です、まだ使えるんです。」

ゴミ屋敷を産んだ、最初の1個目のゴミは

「ペットボトルの蓋」でも「消しゴムのカス」でも「お菓子のゴミ」なんかでもありません。

「まあ、いいや」と自分を甘やかす「懈怠の心」です。

最初の1個目は自分の心の中にあるのです。

心は非常に汚れやすいものです。

自分が知らない内に汚れていって、心の中が気づいたらゴミ屋敷になっていることもあります。

最初の「まあ、いいや。」さえなければ、ゴミ屋敷は産まれなかったかもしれませんね。

最初の1個目のゴミを綺麗にしていれば、なんでもなかったのに。

お経な中にはこんな一文があります。

「白い衣を着ている人は自分の汚れに気付ける。

しかし、黒い衣を着ている人は自分の汚れに気付けない。」

白い衣を着ているとその日汚れた場所がすぐに目につきます。

「あっ、袖が汗で汚れた。」

「あっ、なんかの泥が跳ねてる。」

「あっ醤油が飛んだ痕だ。」

しかし、黒い衣を着ていると汚れていることにも気付かず、

毎日、同じ服を着続けて、次第に悪臭を放ち初めてもいつの間にかそれが当たり前になり、

友達に「なんかその服臭うよ。」と言われても、

その頃には「汚れてない、臭くない。」の一点張りで

人の言うことを聞けなくなるくらい、

その人の心は徐々に真っ黒に汚れて行っているのです。

常に心を掃除し、自分を振り返る。

毎日、寝る前でもいい。

5分間、いや、1分間でもいい。

ゆっくりと目を閉じて、今日の自分を反省する。

良かったところ、悪かったところを見つめていく。

これが一番の心のゴミ掃除なのです。

心の掃除もせず、自分を振りかえらず、なんとなく生きているといつしか心の中が「ゴミ屋敷」になります。

そのうち、平気で人に汚い言葉を吐いたり、暴力を振るったり、犯罪を犯したり、大切な自分を見失ってしまいますよ。

心のお掃除は目に見えないゴミとの戦いなので意外と大変です。

しかも一見全く汚れてない様にも見えます。

でも、どこよりも繊細で、どこよりも汚れやすいのです。

全ての言動の根源は心から始まります。

心に思うから言葉を放ち、心に思うから行動に移すのです。

心さえ綺麗になっていれば、言動も変わって行きます。

さあ、ちょっとダスキンでもダイソンでもいいので、

一度心に掃除機をかけて、掃除をしてみましょう。

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