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【なぜ、幸せなら手を叩かなければならないのか?】

「幸せなら手を叩こう♪(パンパン)幸せなら手を叩こう♪(パンパン)

幸せなら態度で示そうよ、ほら、みんなで手を叩こう♪(パンパン)」

なぜ、幸せなら手を叩かなければならないのか?

また、なぜ態度で示さなければならないのか?

そして、なぜ態度で示せと押し付けてくるのか?

この歌には違和感があります。

そもそも皆さんにとって幸せって何ですか?

好きな事がやれている時・・・

好きなモノを食べている時・・・

好きな人といる時・・・

様々な幸せの形があると思います。

ちなみに世界幸福度ランキングで日本は56位だそうです。

「56位か〜、くそ〜、悔しいな」

となる方はあまりいないかもしれませんが、この幸福度は何を基準に図っているのでしょうか?

調べてみると

国民へのアンケート調査によって行い、

相手を受け入れられる寛容さ、不安や悲しみなど負の感情がないかなどの5つの項目で幸福度を計るそうです。

そもそも日本人は謙虚な姿勢が美徳とされている国なので、

自己評価を低くして答えている人も多いと思うのですが・・・

そもそも幸福なんというものは他者と比べる時点で幸福にはなれません。

「隣の芝生は青く見える」

隣の芝生と自分家の芝生を比べるから不幸になるのです。

案外、芝生なんていうものは大差はないですし、

隣のお家の芝生は農薬まきまくりの人工物の賜物で、人間に害を当てるものかもしれません。

案外の自分のお家の芝生の方がゴロンと安全に昼寝ができるかもしれませんよ。

他者と比べることで幸福は決して得られません。

仏教は自分を見つめ、磨く教えです。

「悟り」は「忄」に「吾」と書きます。

「忄」は心を表し「吾」は漢文体で自分を指します。

つまり仏教の悟りというものは自分の心、

自分の事が分かるようになる事です。

それは決して他者と比べて生まれものではなく、

自分を見つめ、自分を磨いた時に「悟り」がそこにあります。

自分の事が分かる事ほど幸福なことはありません。

「自分の生きる意味、生まれた理由、過去の自分、今の自分、未来の自分」

   こんな事がわかったら幸せじゃないですか?

   別に世界ランキングが56位でも構いません。

   幸せだったら手を叩くことをススメられても構いません。

   芝生が青くなくてもかまいません。

   ただ1つだけ、

   幸せの種は自分の心の内が見えた時に得られるものかもしれませんね。

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